ricebirdgarden’s blog

娘との絵本をめぐる冒険&おうち英語

こどもを魅了する「お化け」のおもしろさ

娘も気が付けばもうすぐ5歳である。相変わらず浴びるように絵本を読みきかせる日々は続いている。

 

娘はとてもアクティブだが、こちらが心配になるほど怖がりなところがある。想像力が豊かともいえるかもしれないが、そのせいでアンパンマンの映画すらまだ見れない。通常のアニメ会より、バイキンマンがパワーアップし、アンパンマンたちが危機にさらされるのが見ていられないらしい。典型的な悪役が出てくるディズニーなんてもってのほかである。

 

しかし、彼女の最近の趣味は武器集めである。一度も最後まで見たことのないキラメイジャーやプリキュアの音のなる武器をハードオフでおねだりし、いつか訪れるかもしれない悪い奴と戦う日のために熱心にトレーニングに励んている。ちなみに、そのおかげか、吹き抜けに釣るしてあるつり輪でくるくる回れるようになった・・・。さらにいえば、彼女の「悪者」はすべて「泥棒」と表現されており、そこにもなんというか、世にはびこる悪人に出会ったことのないことが見て取れ、平和に暮らせているなぁとも思う。娘よ、本当の悪人は人の形をしているし、わかりやすくホッカムリはかぶっていないし、口の周りにひげは生えていないんだよ。

 

そんな怖がりな娘であるが、絵本のジャンルでいえば、お化けや妖怪はかなり好きなのだ。お化けジャンルの絵本で大好きなのは、「おばけのさくぴーとたろぽう」シリーズである。全シリーズ持っている。

 

さくぴーとたろぽうはお化けの子供の姉弟で、夜起きて朝寝るという世界で暮らしている。夜遅くまで遊び、朝日を浴びるとちょっと足が生えてしまうなんてユーモラスなシーンもある。娘はたまに「夜遅くまでこのまま公園で遊んでたらさくぴーとたろうぽーに会えないかなぁ?」なんてなんとも可愛い空想を膨らませている。

 

そんなさくぴーとたろぽうシリーズの魅力は、食べ物にもある。シリーズの中でもとくに人気であろう「おばけのコックさん」は大人が見ていても非常に面白い。「千と千尋」のお父さんとお母さんが神々の背化に迷いこみ、そこの食べ物を無断に食べてしまうシーンは印象的だが、あそこに出てくる得体のしれない食べ物はどれも異様に美味しそうだ。さくぴーとたろぽうが食べるものは、それに通ずるものがあるように私は思う。くもの巣のスープやキャラメルキャベツ、くるくるきゅーにに、くるぽんきゅー。

 

やわらかなタッチで描かれる絵本の中で、それらの食べ物は絵本から飛び出してきそうなほどどこかリアルなのだ。お化けという得体のしれない生き物が食べている得体のしれない食べ物。キャッチーな名前が付けられ、お化けたちが夢中で口にする食べ物。読めば読むほど、どこかにそんな世界があるのかもしれないと思うだろう。私は子供のころこの絵本には出会わなかったので、娘とともに熱狂して楽しんだ。

 

こどもは好奇心の塊である。その好奇心がどういった形で発露されるのかが、面白さだと思うようになった。「怖がる」という行動も一つの発露なのだ。娘は2、3歳までは怖いもの知らずだった。保育園のお散歩で出会ったおじいちゃんにも自己紹介をしたと聞いてひやひやしたものだ。それが、1年2年たつうちに、生き物に触れ、植物に触り、お友達と遊んでいる間に「命」の迫力を知るようになったと思う。

 

気軽に捕まえていたバッタやカエル、公園で撫でさせてもらったネコやイヌにはそれぞれ命があり、どれだけ可愛らしいフォルムをしていたとしてもそれらは全力で今を生きており、ときに圧倒された。命に触れながら少しずつ、「敬意」を感じているのだと思う。たとえ、「敬意」という言葉を知らずとも、彼女の視線や振る舞いにはそういった感情がこもっているように思う。ちなみに、今年は近所の池からカエルの卵を100個ほど連れて帰り、すべておたまじゃくしにし、カエルにまで育てた。水替えが大変だった・・・。

 

そんな風にしながら命に敬意を持つようになり、さらにいえば命はある意味「得体のしれないもの」と感じているようだ。その延長線上に「お化け」や「妖怪」、「恐竜」なんてものがあるのではないだろうかと思う(恐竜は太古の地球には存在していたのだから、それはより一層ロマンと想像力が掻き立てられて当然だろう。ちなみに私は石にロマンを感じている)。

 

ダイバーシティーや多様性が声高に叫ばれる昨今だが、「あの人の肌の色は」「目の色は」「性別は」なんて大人が躊躇している間に、子供たちは軽々と「そこに存在する得体のしれない命はそのまま命である」ことにたどり着いているように思う。その無垢な感覚にどのような言葉でタグ付け(あるはレッテル貼り)してしまうか、その責任の一端を私たち大人が担っていることを忘れてはいけない。

 

もしかしたら、さくぴーとたろぽうが生き生きと暮らす世界があり、うっかり迷い込んだ際には、「わ!人間だ!」とこちらがマイノリティとなり驚かれる世界線だってあるのだ。子供は絵本から、そんな可能性すら見出している。

【4歳おうち英語記録】オンライン英会話9か月目

絵本好きでおしゃべりが好きな娘。なんとなく英語はやったほうがいいのでは?という話を夫とし週1回のオンライン英会話をスタートさせて9か月となった。

 

最初はレッスンも成立せず、タブレットやパソコンを持って娘を追いかけまわしていただだけだったが、最近はその頻度が4回に1回ほどに落ち着いてきた。私が何かしたのが功を奏したというよりも、娘がただ単純に成長してきたのだろう。5歳(年中さん)になればもう少し座っていられるようになる気がする。もうそこは娘の成長を待つしかない。

 

週1回のオンライン英会話を始めるようになって、耳を育てようと思うようになり、さまざまなものを試してきた。我が家の一番の英語教材はおうち英語界隈で定番のYouTubeである。まったく英語耳が育っていなかった間はsupre simplesongs一択。ひたすらこれをかけ流していた。ありがたいことに娘はこれが気に入り、歌が好きなこともありよく見た。見ているうちに流れてくる単語と動画の内容がつながり、簡単な単語はどんどんインプットしていったように思う。

 

オンライン英会話の先生のおかげもあり、週1でしかレッスンしていない割にはそれなりに語彙は習得しているように思う。おそらく、まだ発音はできないけど聞けばわかるという単語を入れればかなりわかっていそうである。super simplesongsで始まった娘の英語学習はいつの間にか、今ではThe Octonauts(進め!オクトノーツ!)まで進んだ。

 

オクトノーツはネトフリで日本語バージョンも楽しむほどハマっている。感心するのは日本語でだけ見たいと言わないこと。自分なりのペースで日英それぞれのバージョンで楽しんでいる。キャラクターそれぞれの決め台詞などはいえるようになったし、私が知らない英単語をつぶやいていることもある。耳が育ってきたのだろう。長野県のド田舎で、ネイティブスピーカーが存在せず、親もまったく英語が話せないのに大したもんだと日々感心するばかりである。

 

英語が理解できないうちはネイティブスピーカーよりは、バイリンガルの日本人講師が推奨されることが多いと思う。フィリピン国籍の方のオンライン英会話はすっかり定番だが、その先生たちもある程度の日本語のフレーズは知っていると聞く。

 

けれど娘とうまくいく先生はネイティブの先生なのだ。これは、我が家が登録しているオンライン英会話サイトの傾向かもしれないけれど、娘は日本人の先生のレッスンスタイルがつくづく合っていない。要するに授業形式が嫌いなのだ。先生がその日やると決めたレッスン内容(先生の土俵)に引っ張られるのが嫌なのだ。ネイティブの先生は、娘の周りすべてのものが教材になるから娘の土俵に入ってきてくれる。それがおそらくうれしいのだと思う。

そして何よりそこに「英語を話す」必然性がないことをすでに気付いている。なぜ英語を苦労してこの人に話さなくてはならないのだといった感じだ。先生はマルチリンガルで、日本で暮らしていた経験もお持ちだからおそらく日本語もある程度わかっている。でもやっぱり英語が母国語の人の存在感は違う気がする。

 

そして、仮に娘がふざけてリピートしなかったり、答えなかったりしても絶えずリアルタイムの英語が浴びられる。これがネイティブのレッスンを受ける最大のメリットに思う。本当に素晴らしい生の教材になる。

日本語を獲得していくときも多くの子供は親から言葉を浴び続ける。「お花が咲いてるね。きれいだね。」「どこにいくの?」「今日は暖かいね。」こうやって自分の動きや目に映るものを日本語という言葉でラベリングされていき、知らず知らずに覚えていく。

 

今、娘が先生にやってもらっているのもまさにこれなのだ。インプット量が十分でないうちにオンライン英会話をはじめても効果は薄いとよく言われる。確かに、大人がやればそうだと思う。けれど、小さなこどもはそうではないと9カ月続けてきて思う。娘がひっくり返ればWhat are you doing?と言ってもらい、レゴを見せればIt's nice!と言ってもらう。先生は当然語学を教えるプロなので、そこにさまざまな単語を放り込んでくれる。そのときはわからなくてもなんとなく頭に残り、YOUTUBEなどを視聴した際に再びその単語に出会うと、おそらく「前先生も言ってたな」となっているのだ。それを繰り返し繰り返し、何度も同じ単語やフレーズに出会っていき身についていく。

 

このレッスン内容が嫌だ!と娘が言えば、多くの先生はじゃあこれは?じゃあこれは?と新しものを用意してくれる。でも、今お世話になっている先生は違う。「そういうときは英語で〇〇」というのよ。と教えてくれる。「New game please」「I don't want to play」とかをリピートさせようとしてくれる。英語を学ぶというより、英語で会話しようとしてくれるその姿勢が娘は心地いいのだろう。

 

とにかく英語習得は時間が大切と言われるのはこの作業を膨大に繰り返す必要があるからだと思う。そしてそれをしても苦にならないのが小さいころから始めるメリットだろう。同じ動画を何度も何度も繰り返せるのだ。大人は意識的にやらないと、よっぽどハマった動画以外はできないけれど、子供は違う。何時間でも見ていられる。

 

英語学習を始めたときは、いったいこれからどうやって身についていくのだろうと不安になったほどだったが、ここ数日で急にレベルが上がってきた気がする。ネット上のスーパーキッズたちの英語を見ていると、うちは到底そこまでたどり着けないだろうとか、このスタイルや教材があっていないから伸びないのだろうかとか、とにかく悩む。おうち英語界隈は怪しげなビジネスも横行しているし、英語が話せない親が進めるおうち英語はいいカモにもなってしまう。

 

けど、やれることはシンプルだ。英語を大量に聞かせ、時折アウトプットさせるだけ。やり方はその子にあったものを探し選び続けるのだ。

娘とたどっていく絵本の世界③NETFLIXからの絵本

現在4歳4か月の娘は絵本大好き。自分でもぐんぐん読み進めていく家族一の読書家になった。けれど、当初はほんとうに絵本に興味を示さなかった。

 

1歳児健診の際に町からプレゼントされた「いないいないばあ」に一瞬はまり、繰り返し読んでいたので絵本に興味が出てきたのかな?と思っていたもののそれ以降まったく進まず。図書館からせっせと借りてきた本を破かれ、始末書まで書いたほろ苦い思い出まである。

 

「まぁもういいか!本に興味がなくてもこの世にコンテンツは山ほどあるし。」と早々にあきらめてワンオペ育児の片手間にNETFLIXを導入することになった。これまでEテレのわんわんやユキちゃんにはほんとうにほんとうにお世話になり、「いないいないばあ」のライブDVDはほとんど持っているほどだったが、少しほかのも見せてみるかとNETFLIXを始めたのである。

 

サブスク型の映像コンテンツに手を出したのはこのときが私も初めてで(ちょうどNETFLIXがはやり始めたころだった気がする)、莫大なコンテンツ量にド肝を抜かした。

 

早速検索して、1歳を過ぎ、もうすぐ2歳になる娘でも楽しめそうなものはと探した。それで選んだのが「ノンタン」である。ノンタン様と呼ばせていただきたいくらい、その後娘はドはまり。娘は発語が早く、1歳過ぎたころからなんだかんだとしゃべっていた気がする。「ノンタン」といえるようになったのも早かった。

 

ノンタンは絵がわかりやすく、なんといっても語感がよい。韻を踏んでいるような文章が多く言葉を覚えだした子供が思わず繰り返したくなるような文章だったのだろう。それがアニメで動き、リズムよくキャラクターが話すため娘は夢中になった。映像クオリティは大人からみるとガサガサで色も地味なのだが、それも逆に良かったように思う。

 

2歳前には2語文になっていたような気がする。テレビを指さして「ノンタン みる」「ノンタン シュー(する)」といわれまくった。そんなある日、ふらりと家族で訪れたブックオフで見つけたのだ。「ノンタン」シリーズがほぼコンプリートされた超良品絵本が。しかも1冊100円とかだった気がする。

 

10冊ほどひとまとめにして購入。ダメもとで読んでみた。するとさらにノンタンブームが加速。寝る前にはノンタンの絵本10冊を抱え、「よんで」「ノンタンよんで」と笑顔で持ってくる。これまで1ページも聞いてられなかった娘が急に10冊抱えてよたよた歩いてくるのである。衝撃だった。

 

話は少しそれるが、このころ、昼寝のペースが変化してきているときで夜6時には寝かしつけをしなくてはならず、朝食・昼寝後、遊び、夕食を作り、食べさせ、風呂に入れ、寝かしつけを完了させるまで朝から晩まで完全にワンオペだった。

 

日中はノンタンしか流れないテレビを見て、運動のために外に連れ出し、夜は寝る前にノンタン10冊。今思えば苦行だった。わんわんやユキちゃんが恋しかった。人間の姿を見たかった。今思うと笑えるが。

 

「もう少し減らさない?」といってもダメ。とんでもない冊数をいきなり読むようになり喉はカラカラ、娘は寝ない・・・思い出しただけでも少し辛い日々だ。しかし、日ごろ不真面目で自分で良い親とは言えない育児ばかりしている私は「せめて持ってきた本はなるべく読んであげよう」となんとなく決意したのだ。持ってくる本はすべて読んだ。聞いていなくてキレた日もあるけど、それでも最後まで読んだ。

 

幼児の「繰り返し」習性は本当にすごいとしかいいようがない。確かにこの習性は語学を修得するのにぴったりだと今は思える。当時はマジでつらかった。暗い部屋で娘の寝息が聞こえてきても頭の中でノンタンの声と映像がぐるぐるしていた。ちなみに夏ならまだ外は明るかった。いったい今は何時だ?頭がガンガンした。

 

そしてそこから起き上がって、帰宅する夫に夕食を準備する。夫は育児にも積極的で日々力になってくれたものの、このころの寝かしつけの苦労は知らない。夫が家にいる時は大体私もいるからだ。あの姿は娘とノンタンしか知らない。

 

当然ノンタンは架空の人物だし、娘もやがて忘れてしまうだろう。今聞いても多分覚えていない。あの日々は私だけが知るどんな気持ちにカテゴライズしてしまっておけばいいかわからない思い出だ。ノンタンの能天気な顔を見るたびに思い出す。

 

かくして、娘の絵本の世界への扉を開いたのはまさかのNETFLIXだった。これまで赤ちゃんだった娘は絵本を見てもそのキャラクターが動き出していなかったのかもしれない。NETFLIXノンタンは絵本とほとんど同じ回もあり、動画を見てから絵本を見ることで「紙上のキャラクターが生き生きと動き出す」経験をしたのではないかと思う。

 

それで絵本を読む(聞く)「コツ」を会得したように見える。それからはノンタン以外の絵本もどんどん読むようになり、そして絵本を眺めているときの目はきらきらと楽しそうだ。

試される親の根気

とんでもない勢いで文字を覚えていく4歳4か月の娘。車で少し移動しようものなら、町にあるすべての文字を読もうと看板に目を光らせている。最初のうちは「あれも読めたね!」「これも読めたね!」と親ものんきに褒めていたのだが最近はそんな余裕もなくなりつつある。

 

昨日は、「あのビルみたいな漢字は何て読むの?」と聞かれた。もちろん私は運転中で、おまけに「ビルみたいな漢字・・・?」。

 

娘は幸福にも両親に愛され、周りの人からもかわいがってもらっている。だから質問したら当然教えてもらえるものだと思っている。「そんなことも知らないの?」なんて詰め寄られることがあるなんて1ミリも疑っていない。

 

私の子供のころはどうだったろうか。私の場合は父自身が「質問することは素晴らしい」と強調しすぎていたように思う。そんな父を喜ばせたくて、「質問する」ことばかり続けていたかもしれない。だから私の質問力は正直微妙だ。褒めてもらいたくて適当に質問していたから。娘のように、「あのビルみたいな漢字はなんだ!?」と興味に突き動かされて質問していなかったように思う。

 

少し話がそれてしまった。というわけで、娘は今「あれは何?」ブームだ。そして質問ジャンルはいまのところ漢字に特化している。私のように「質問する」ことを目的とした「質問」ではなく、「この世のすべての漢字を知ってやる」と海賊王さながらの熱意があるため、いい加減に応えたり話題をそらすと怒る。面倒な(失礼)4歳児クオリティで。

 

そんなわけで私は爆弾処理班くらい慎重に(マジで4歳児は爆弾だ)「ビルみたいな漢字」の正体を突き止める作業に入る。短すぎる導火線に火をつけないように慎重に確認した結果、「出」という文字を聞いていたことがわかった。

 

車で通りすぎた道に「とび出し注意!」の看板があったのだ。「注意!」はおそらくよく見返るうえ、日常でもよく聞くため看板の場所、飛び出し坊やのフォルムから「なにか注意喚起している看板だな。なるほどこれは注意(ちゅうい)と読むようだ」と突き止めていたと思われる。そうすると「とび出し」もイメージで読めそうな気もするが、確かに「出」という漢字は不思議な形をしているようにも思えてきた。

 

「出は(デ)とか(シュツ)と読むよ。出るとか、出発進行のシュツだよ」と答えると「オッケー!!しゅっぱーーーーーつシンコーーー!GOGO!」と声高らかに応えた娘。音速で突き進む娘にどこまで親はついていけるのか。心からの興味で質問してくれるうちが花である。

 

娘には私のように「質問すると父の機嫌がよいな、喜んでくれるな」といった記憶を残すのではなく、「こっちが真剣に聞いているのにマジでお母さんってば何回も質問聞き返してきてほんと勘悪かったよな~。今思えば間違って教わった漢字もあるし。まあでもクイズみたいで楽しかったかな」くらいの思い出をどこか片隅に残してくれればと願う。

4歳4か月 音読が始まる

4歳4か月になった娘。相変わらず絵本の世界へせっせと潜り続けている。寝る前の絵本の数は平均して5~6冊。図書館から借りてくる冊数は2週間で20冊弱。家にある100冊近い絵本と合わせながら繰り返し繰り返し読み続ける日々。

 

娘ははっきりって落ち着きのあるタイプではなく、かなりアクティブ。コロナの影響もありリビングにはトランポリンとブランコ(梁に括り付けるタイプ)が常設されている。

 

子供たちが大好きなYOUTUBEでさえ、じっと座ってみることはまれである。いくらか見たらほかの遊びをしながら流し見することが多い。

 

そんな娘は絵本を読みきかせしてもらっているときもしゃべる、動くとまるで聞いていないようなそぶり。

 

「もう聞いてくれないならここでおしまいにするよ」なんてワードも思わず親から飛び出すこともある。

 

しかし、驚くのはそんなスタイルで聞いている絵本であっても暗唱できること。谷川俊太郎さんの有名な「めのまどあけろ」などはおそらく1、2回聞いただけで暗唱してしまった。

 

大好きな「のんたん」シリーズや「14匹のねずみ」シリーズなどお気に入りのものはほとんど覚えている。

 

そんな娘が最近、突然ひらがなをスラスラと読み始めた。「こ」「ん」「に」「ち」「は」といった拾い読みではなく「こんにちは」と滑らかに読めることがほとんど。まったくと言っていいほど教えていないカタカナや多少の漢字も読めるようだ。

 

一体彼女の頭はどんなふうに文字を処理しているのか?ガサガサ動き回って(失礼)ろくに話を聞いていないようなことがほとんどなのにどんどん読めるようになっている。テレビの文字もどんどん読むので下手な番組はもう見れない・・・。

 

観察していると「一文字」で覚えるのと並行して「かたまり(単語)」で覚えてしまっているようだ。そしてこれまで暗記してきた「音」と照らし合わせながら確認しているので滑らかに読めているように思える。

 

娘はこどもちゃれんじのひらがなパソコンやひらがなを覚えるためのおもちゃなどはまったくハマらなかった。カルタもそこそこ。ドリルなんてもってのほか。

 

大人が思う「文字の学び方」はつまらないらしく、なんだかもっともめんどくさそうな「絵本の音を覚える」「いくつか知っている文字と音声を合わせながら文章と絵を眺める」「文字と単語を覚える」というルートをたどっているようだ。

 

細々と続けている英語も同じ。アルファベットは覚えているようだが、読み方はご存じフォニックスルールにのっとるものが多いので、ひらがなのように読むことはできないはずなのに「funny fish」などまとまった単語が読めたりする。こっちからするとまったくもって謎。

 

子供の言葉を習得するプロセスはまさに今しか見ることができない姿で面白くもある。

4歳2ヶ月読書量急上昇

4歳2ヶ月になった娘。最近新しい絵本を読むことが好きなよう。2週間に一度、図書館に行き10冊ほど借りてくる。

気に入った本はリピートしつつ初めての物語に飛び込む楽しさを味わっている感じ。1冊をエンドレスリピートしていた赤ちゃんの頃とは少し楽しみかたが変わってきたようだ。

 

選ぶ絵本の内容は物語をベースに科学も増えてきている。お父さんの影響で宇宙に興味がでてきた。オンライン英会話で南アフリカの先生と話しており、地球の広さから宇宙の広がりまで想像が広がっているのかもしれない。

 

毎回驚くのが記憶力のよさ。一度読んであげた話はかなり細かいところまで覚えており、教えていなかった「毛糸」を「いやいやえんのおばあちゃんが編み物で使っていた糸」と詳細に理解していた。こういったことは日常茶飯事で、これまでインプットされていた言葉同士が論理力の発達に伴ってあらゆる角度から糸でつながり、思考や発想もまさに立体的な様をなしてきた。糸が面になり、立体になるよう。立体同士のつながりの突飛さがまさに4歳という感じの自由があり感心する。その立体は地球という星を越え、宇宙にまで飛んでいけるのだから子供の想像力にはつくづく感動させられる。

 

それとともに自我もハイスピードで発達。2歳のイヤイヤ期とは比べ物にならないイヤイヤが日々爆発。それでも絵本を下げて読んでとやってくる。

 

1人で文字が読めるようになってきたけど、まだまだ読み聞かせは続けるつもりでこれからも娘の絵本の世界にお供できるのは大変でもあり光栄でもある。

 

娘とたどっていく絵本の世界②「はじめて笑った絵本」

1冊の絵本を最後まで読み聞かせることがほとんどできなかった娘ですが、

1歳の誕生日にもらった絵本でついに完読できるようになりました。

絵本のタイトルは日本一売れている有名な絵本といえばピンと来る人も多いでしょう。

 

「いないいないばあ(松谷 みよこ(著)、瀬川 康男(絵)」でした。

 

1歳児検診のときに町からプレゼントしてもらい、その場で絵本ボランティアの方が読み聞かせををしてくださいました。

 

「めっちゃ優しそうなおばあちゃんだけど、これはまた娘は脱走するのでは…」

とひやひやしながらそばで見守っていましたが、娘は絵本にかじりつき!

ページをめくるたびにキャッキャと笑い声をあげています。

 

周りの子どもたちも同じように、ボランティアの方に読み聞かせをしてもらっていたのですが、

声をあげて笑うほどハマっているのはわが娘だけ。

ボランティアの方もあまりのリアクションのよさに、繰り返し読んでくださったほどでした。

 

今年4歳になる娘ですが、いまだに読んでと持ってくるお気に入りの絵本です。

 

ヒットする絵本を選ぶと子どもはこんなにも喜ぶのか!衝撃でした。

 

それから、私がこれまで選んでいた絵本の選び方を振り返ってみました。子どもにヒットする絵本の選び方。これを私は長い間間違えていたように思います。

当時は、娘に「自分が読んであげたい」ものを選んでおり、娘自身が「読みたい」ものを選べていなかったように思います。

 

ずらりと並ぶ絵本を見ているうちに、

「理科に興味を持って欲しいから科学的な内容のものにしよう」

「絵がかわいいからこれを気に入って欲しい」

そんな気持ちで知らず知らずのうちに、私の好きなものを選んでいました。

 

それが「今の」娘の興味に沿ったものではなかったのが大きな失敗だったのではと思います。当たり前のことなんですが、本当に娘100%で選ぶのはかなりの難易度です(少なくとも私はそうでした)。

 

「いないいないばあ」は文字がかなり少なく、下手すれば1分で読み終えてしまうようなボリュームです。

もっと目を引く色や絵柄がのった絵本もほかにたくさんあります。

しかし、そのボリュームと柔らかな絵柄、ページをめくる喜び・おもしろさを感じられる設計。これらを考えると、これ以上1歳児の心をつかむ絵本はないのでは?と思うほどです。

 

そして、1歳児なりに、自分で読むことができるのもこの絵本のすごいところでしょう。

ほかのフレーズは読みなくとも、ページをめくりながら「ばあ!」と読むことはできるからです。

 

しかし、それからまた絵本選びは停滞するのです…。そしてそれをブレークスルーさせたのはネットの力でした。