ricebirdgarden’s blog

娘との絵本をめぐる冒険&おうち英語

娘とたどっていく絵本の世界⑤ガンガン読む・100万回生きたねこ

4歳ごろからひらがなはすらすら読んでいたが、本を楽しんで自分で読むようになったのは最近富に感じる。図書館は2か所通い、それぞれから約20冊ずつ借りる。2週間に1度返却するので、1か月で80冊は借りているだろう。本当はもう10~15冊ほど追加しても十分読みこなせる計算なのだが、重すぎて持ち帰れない。家にある本ももちろん読むし、保育園に迎えに行くと本を読んで待っている。ひと月におよそ100冊は読んでいる。年間1200冊の計算となる。

 

あの絵本を読んでも振り向きもせず、見たと思えば破いて図書館に始末書を提出していたあの娘がだ。信じられない。

 

今や、少しハラハラするシーンがある絵本などを読んだ際は、無事に解決すると「フーッ」と安堵すらしている。完全に物語の世界に没入し、主人公に心を寄せ、心配し、応援し、ともに戦ったり喜んだり悲しんだりしているのだ。

 

図書館から借りた絵本で気に入ったものがあると娘は「この絵本は手元に置いておきたい」と申し出てくる。そうすれば購入する。これを繰り返しているうちに、娘の本棚は娘の好きなものだけで作られた世界一の本棚になるだろう。退屈な時、悲しい時、うれしい時、どんなときも絵本の物語の生き物たちが彼女に寄り添ってくれるだろう。娘が自分の力で作り上げた安全基地なのだ。好きな本がずらりと並び、それらに囲まれている空間というのは、タブレット読書では得られないものな気がしている。もちろんタブレット読書も併用していくつもりだが。

 

先日、5歳を過ぎて命に触れる機会もでてきたので初めて「100万回生きたねこ」を投入してみた。あまりに有名な絵本で、もはや説明はいらないと思う。娘のリアクションを気にしながら読みきかせた。何度も死んでは生き返る猫。ずっとそれが続くと思いきや、最後は生き返らなかったと知った時娘は「え!?生き返らないの!?」と驚いた。

 

この瑞々しい、はかない5歳の疑問が尊く感じたのは親バカなのだろうか。さまざまな解釈があり、深い解説も当然ある。けれど、最初に触れた5歳の娘の疑問は「なぜ最後に生き返らないのか?」だったのだ。私は、彼女がこの物語の本質というか、キモの部分にきちんと気づいていると感じた。「なぜ生き返らないのか」の疑問から紐解ける命や愛の尊さがこの絵本には記されていると思うからだ。そして、「ちょっとドキドキして怖かった」とも言っていた。命に触れたからだと思う。

 

翌日、お気に入りのハンモックに揺られながら一人でまた「100万回生きたねこ」を引っ張り出し静かに読んでいる姿があった。「やっぱり生き返らなかった」と確認していた。怖かったという絵本を読み返すことは娘にとってはかなり珍しい。

 

この本を手元に置きたいとはまだ娘は言わなかったので、返却するつもりだが、6歳を過ぎたらもう一度借りてこようと思う。絵本の面白さはそこにもある。読む年齢で受け取るものや物語の解像度が格段に変化するのだ。子供の成長が感じられる瞬間でもあり、親が伝えている価値観の基準をどんなふうに受け取っているかを知れる瞬間でもある。

 

自力読みを早くさせたいという声も世の中にはある。早く読み始めた子供を誇らしく思う親の気持ちもわかる。けれど、私は娘が黙読を始めたとしても、「もう読まなくていい」と言われるまで読み聞かせを続けるつもりだ。読解力とか、流暢さとか、そういうものを知りたいというよりは娘と絵本の世界を旅するのが楽しいからだ。寝る前に何冊も何冊も読むのは確かに骨が折れるが(しかも最近は英語絵本アプリも始めたのでかれこれ1時間近くは読書していることになる)、それでもこれは続けたいと思う。

【おうち英語記録】ついにネイティブ講師と専属契約

せっせと娘と英語を続けて1年が過ぎた。3歳後半からオンラインレッスンをはじめ、細々と、しかし確実に歩んできたおかげで娘にもレッスンを受ける習慣がついてきた。

 

それこそ最初のうちは画面から逃亡、カーテンの中や机の下に隠れるなどありとあらゆる幼児オンラインレッスンのあるあるを連発していたが、5歳にもなると少なくとも画面の前からは逃走しなくなった。iPadをもって追いかけまわしていたあの頃は、いったいこれに何の意味が?なんて思うこともあったけれど今となっては必要なことだと思う。

 

なぜなら、そんな親子に娘を担当してくれた先生はどこまでもどこまでも付き合ってくれたからだ。何をやってもリアクションを返し、先生の画面に映るものすべてを使って何か足掛かりにし、娘に英語を話し、質問し、少しでも答えたら褒めるという実にシンプルで、だからこそ根気のいることをずっとずっとずっと続けてくれた。

 

オンラインレッスンという特性上、ほかの先生にお世話になることもあったけれどそこまで付き合ってくれたのはやはりその先生だけだった。そして、その先生の粘り強さのおかげでスカイプの画面上だけで、一度も触れ合えないにもかからず、二人の関係は少しずつ育っていった。先生の真似をしてマニキュアを塗ってみたり、先生に爪はこうやって乾かすのよ、なんて教えてもらっていた様子はまるで姉妹のようで娘はどんどん先生が好きになっていた。

 

そして、ただ遊ぶだけではないのがその先生の素晴らしいところだった。娘の機嫌やコンディションを細かく確認しながらスモールステップを繰り返しながらしっかり英語も教えてくれた。今となっては、Why?の質問が来れば娘はBecauseから始めたセンテンスを返すし、英語で冗談を言い合ったりもするようになった。SNSであふれるスーパーキッズには到底及ばない英語力であることには変わらないけれど、両親が英語を話せず、インターにも通わず、海外経験もない娘がよくぞここまでたどり着いたと感動すらする。娘も自分の英語力の伸びを感じているようだ。だからこそ、先生との時間が楽しいのだと思う。

 

そんな日々が続いていた矢先、先生からオンラインレッスンを続けられなくなったと連絡があった。まさに青天の霹靂。しかも2日後が最後のレッスンになるというではないか!ヨーロッパ?やアメリカ?は退職から新しい仕事へ移るのが速いと聞いたような、聞かなかったような・・・とにかく日本とは違うスピードで動いているとは知っていたものの本当にそうなのか!と大ショックだった。とあるオンライン英会話サイトに登録して受けていたのだが、そこで授業を公開することは今後ないと。

 

先生はわざわざ個人的にもメッセージをくれ、別れを嘆いてくれた。めちゃくちゃ悩み、思い切ってプライベートレッスンをお願いできないか聞いてみた。翻訳ソフトを使いまくり、誠実な文面をなるべく心がけ、もし!ワンチャン!できるなら!続けてくれないかと頼んでみた。

 

すると、快諾してくれたのだ。先生も娘の英語を育ててきた自負があり、これからもその成長を見守りたいと。なんとありがたい話!時差があるため夜中の2時に返信を受け取ったが嬉しさのあまり飛び起きた。

 

というわけで、娘も大好きな先生とこれからも英語を学べるようになり、落ち込み顔はすっかり明るくなった。ひとまずの区切りの最後のレッスンでは I love you!!と伝えていた。これぞ心のこもったコミュニケーションだ。

 

わが娘には、よくこういったことが起こる。とにかく人にかわいがってもらえるのだ。やんちゃで自由でガサガサしているけれど、必ず誰かが目にとめてくれ、優しい言葉をかけてもらえる。今回の出来事ではその娘が持って生まれてきた神様からのギフトをしみじみと感じた。

 

問題は料金と支払方法の話し合いだ!英語のできない母はグーグル先生とともになんとかそこをクリアーしなければならない。語学力が成長するのはトラブルにさらされたときと聞くが、まさにそれを感じる。何とかしなくてはならないという立場に立たされると人は必至で勉強するのだ。

娘とたどっていく絵本の世界④14ひきのシリーズ

ノンタンを皮切りに、絵本の世界の楽しさを知った娘が次にはまったシリーズが、14ひきシリーズだった。こちらは、幼児絵本の王道中の王道と言えるだろう。いっくん、にっくんと10人きょうだいと、その両親、祖父母のねずみ家族の日常をつづっている。

 

この絵本の大きな魅力はやはりなんといっても絵画のような美しいイラストだろう。見開き2ページを仕上げるのに、いったいどれくらいの時間をかけただろうと思うほどの詳細さで、その書き込みの細かさは植物細密画を見ているような気にすらなる。

 

当然、14ひきたちは空想のねずみたちだけど、そのほかはすべてリアルな自然にあふれている。日本の四季の美しさに触れながら、そのときどきに登場する動植物をこれでもかというほどの細かさで描いている。図鑑を眺めるのが好きな子供はおそらくヒットするのではないだろうか。

 

私たち家族は長野県に暮らしており、私の出身地である大阪より圧倒的に自然が豊かだ。ともすれば、町内放送で、クマの出没がアナウンスされるほど山が身近だ。娘の遊び相手はもっぱらカエルやバッタやカナヘビ。当然、14ひきのシリーズの世界も楽しかったのだろう。とくに、末っ子のくんちゃん、とっくんには思い入れが強く、彼や彼女らがこけたり泣いたりしたときは寄り添うような言葉をかけている。

 

時折登場する、14ひきの食事シーンも魅力的だ。どんぐりパンやお父さん特製スープ、みんなで積んだ木苺ジュース、みんなでついた餅など。食卓を囲むシーンが暖かで、ゆるやかで、穏やかなのもとても心癒される。自然遊びの入り口に、この絵本はとてもおすすめだ。

【英語の絵本】Five little monkeys シリーズ

細々と英語学習を続けて1年になる。娘の両親は、自慢ではないが英語はできない。そのため、娘の英語学習は、YOUTUBEを英語で視聴し、よたよたと親が英語の絵本を読みきかせ、週1~2回オンラインレッスンを受けることが精いっぱいである。でも、子供の言語能力とはすごいもので、だらだとYOUTUBEを見ているだけでもインプットは進み、この親からは想像も付けない語彙力を身に着けるに至った。

 

先日は、extinctって何?と聞かれ、スペリングもわからず、音声翻訳してみると「絶滅危惧種」と出てきてひっくり返りそうになった。知らない単語の音を拾えるなんて、拍手喝采ものである。

 

そんな娘の日本語力であるが、なんなく、年齢プラス1~2ほどはあるのではないだろうか。絵本を読み漁り、おままごとに熱中してきただけあって、かなり堪能である。そして、まさにそんな日本語に引っ張られるようにして英語の力が上がってきているように感じる。

 

ある日、娘と話している際「ママはね、」と話したら、「違うよ。ママが、でしょ?」と助詞の間違いを指摘された。この日本語ならではのニュアンスを使い分け、おまけに文脈に沿っていないと指摘してくるのだから驚きだ。別の日は、大好きな麩菓子を食べながら「外はサクサクで、なかはしっとりしていて、口に入れると綿菓子みたいに溶けていくのよ。その後、周りのお砂糖の甘さが広がって最高なのよ~」と彦摩呂顔負けの食レポをしていた。4歳児おそるべしである。

 

そんなおしゃべり4歳児のお気に入りの英語の絵本はfive little monkeysシリーズである。童謡でもあり、繰り返しフレーズが多く、オチまで楽しめるため英語がほとんどわからなくても楽しめると思う。絵本の素晴らしいところだろう。日本語の絵本に混ぜながら読んでいるうちに、ある日、質問された。「この子は女の子からここはher?」「男の子だからhis?」と。この絵本には繰り返しそんなシーンが出てくる。herとhisの音の違い、絵柄の性別の違いから気になりだしたのだ。

 

そして、そんな質問をするようになったころ、It's your jump rope.などとyourも使いだした。所有格の存在に気づきつつあるのだ。なんとなくだが、日本語と英語の年齢の開きは2年くらいあるんじゃないだろうか。2歳と言えば、「これは〇〇ちゃんの!」「これはママの!」とやたら所有格を明らかにしたいお年頃だったように思う。

 

授業という形式で英語を習っていると、所有格なんてハードルが高いように思うし、使いこなすのはまだまだ先といった感じが少なくとも私がするが、こどもは自分が伝えたいことを足掛かりにして言葉を身に着けていくのかとしみじみ思った出来事だった。こどもにとって「所有」というのはかなり気になるポイントなのだ。

 

こどもを魅了する「お化け」のおもしろさ

娘も気が付けばもうすぐ5歳である。相変わらず浴びるように絵本を読みきかせる日々は続いている。

 

娘はとてもアクティブだが、こちらが心配になるほど怖がりなところがある。想像力が豊かともいえるかもしれないが、そのせいでアンパンマンの映画すらまだ見れない。通常のアニメ会より、バイキンマンがパワーアップし、アンパンマンたちが危機にさらされるのが見ていられないらしい。典型的な悪役が出てくるディズニーなんてもってのほかである。

 

しかし、彼女の最近の趣味は武器集めである。一度も最後まで見たことのないキラメイジャーやプリキュアの音のなる武器をハードオフでおねだりし、いつか訪れるかもしれない悪い奴と戦う日のために熱心にトレーニングに励んている。ちなみに、そのおかげか、吹き抜けに釣るしてあるつり輪でくるくる回れるようになった・・・。さらにいえば、彼女の「悪者」はすべて「泥棒」と表現されており、そこにもなんというか、世にはびこる悪人に出会ったことのないことが見て取れ、平和に暮らせているなぁとも思う。娘よ、本当の悪人は人の形をしているし、わかりやすくホッカムリはかぶっていないし、口の周りにひげは生えていないんだよ。

 

そんな怖がりな娘であるが、絵本のジャンルでいえば、お化けや妖怪はかなり好きなのだ。お化けジャンルの絵本で大好きなのは、「おばけのさくぴーとたろぽう」シリーズである。全シリーズ持っている。

 

さくぴーとたろぽうはお化けの子供の姉弟で、夜起きて朝寝るという世界で暮らしている。夜遅くまで遊び、朝日を浴びるとちょっと足が生えてしまうなんてユーモラスなシーンもある。娘はたまに「夜遅くまでこのまま公園で遊んでたらさくぴーとたろうぽーに会えないかなぁ?」なんてなんとも可愛い空想を膨らませている。

 

そんなさくぴーとたろぽうシリーズの魅力は、食べ物にもある。シリーズの中でもとくに人気であろう「おばけのコックさん」は大人が見ていても非常に面白い。「千と千尋」のお父さんとお母さんが神々の背化に迷いこみ、そこの食べ物を無断に食べてしまうシーンは印象的だが、あそこに出てくる得体のしれない食べ物はどれも異様に美味しそうだ。さくぴーとたろぽうが食べるものは、それに通ずるものがあるように私は思う。くもの巣のスープやキャラメルキャベツ、くるくるきゅーにに、くるぽんきゅー。

 

やわらかなタッチで描かれる絵本の中で、それらの食べ物は絵本から飛び出してきそうなほどどこかリアルなのだ。お化けという得体のしれない生き物が食べている得体のしれない食べ物。キャッチーな名前が付けられ、お化けたちが夢中で口にする食べ物。読めば読むほど、どこかにそんな世界があるのかもしれないと思うだろう。私は子供のころこの絵本には出会わなかったので、娘とともに熱狂して楽しんだ。

 

こどもは好奇心の塊である。その好奇心がどういった形で発露されるのかが、面白さだと思うようになった。「怖がる」という行動も一つの発露なのだ。娘は2、3歳までは怖いもの知らずだった。保育園のお散歩で出会ったおじいちゃんにも自己紹介をしたと聞いてひやひやしたものだ。それが、1年2年たつうちに、生き物に触れ、植物に触り、お友達と遊んでいる間に「命」の迫力を知るようになったと思う。

 

気軽に捕まえていたバッタやカエル、公園で撫でさせてもらったネコやイヌにはそれぞれ命があり、どれだけ可愛らしいフォルムをしていたとしてもそれらは全力で今を生きており、ときに圧倒された。命に触れながら少しずつ、「敬意」を感じているのだと思う。たとえ、「敬意」という言葉を知らずとも、彼女の視線や振る舞いにはそういった感情がこもっているように思う。ちなみに、今年は近所の池からカエルの卵を100個ほど連れて帰り、すべておたまじゃくしにし、カエルにまで育てた。水替えが大変だった・・・。

 

そんな風にしながら命に敬意を持つようになり、さらにいえば命はある意味「得体のしれないもの」と感じているようだ。その延長線上に「お化け」や「妖怪」、「恐竜」なんてものがあるのではないだろうかと思う(恐竜は太古の地球には存在していたのだから、それはより一層ロマンと想像力が掻き立てられて当然だろう。ちなみに私は石にロマンを感じている)。

 

ダイバーシティーや多様性が声高に叫ばれる昨今だが、「あの人の肌の色は」「目の色は」「性別は」なんて大人が躊躇している間に、子供たちは軽々と「そこに存在する得体のしれない命はそのまま命である」ことにたどり着いているように思う。その無垢な感覚にどのような言葉でタグ付け(あるはレッテル貼り)してしまうか、その責任の一端を私たち大人が担っていることを忘れてはいけない。

 

もしかしたら、さくぴーとたろぽうが生き生きと暮らす世界があり、うっかり迷い込んだ際には、「わ!人間だ!」とこちらがマイノリティとなり驚かれる世界線だってあるのだ。子供は絵本から、そんな可能性すら見出している。

【4歳おうち英語記録】オンライン英会話9か月目

絵本好きでおしゃべりが好きな娘。なんとなく英語はやったほうがいいのでは?という話を夫とし週1回のオンライン英会話をスタートさせて9か月となった。

 

最初はレッスンも成立せず、タブレットやパソコンを持って娘を追いかけまわしていただだけだったが、最近はその頻度が4回に1回ほどに落ち着いてきた。私が何かしたのが功を奏したというよりも、娘がただ単純に成長してきたのだろう。5歳(年中さん)になればもう少し座っていられるようになる気がする。もうそこは娘の成長を待つしかない。

 

週1回のオンライン英会話を始めるようになって、耳を育てようと思うようになり、さまざまなものを試してきた。我が家の一番の英語教材はおうち英語界隈で定番のYouTubeである。まったく英語耳が育っていなかった間はsupre simplesongs一択。ひたすらこれをかけ流していた。ありがたいことに娘はこれが気に入り、歌が好きなこともありよく見た。見ているうちに流れてくる単語と動画の内容がつながり、簡単な単語はどんどんインプットしていったように思う。

 

オンライン英会話の先生のおかげもあり、週1でしかレッスンしていない割にはそれなりに語彙は習得しているように思う。おそらく、まだ発音はできないけど聞けばわかるという単語を入れればかなりわかっていそうである。super simplesongsで始まった娘の英語学習はいつの間にか、今ではThe Octonauts(進め!オクトノーツ!)まで進んだ。

 

オクトノーツはネトフリで日本語バージョンも楽しむほどハマっている。感心するのは日本語でだけ見たいと言わないこと。自分なりのペースで日英それぞれのバージョンで楽しんでいる。キャラクターそれぞれの決め台詞などはいえるようになったし、私が知らない英単語をつぶやいていることもある。耳が育ってきたのだろう。長野県のド田舎で、ネイティブスピーカーが存在せず、親もまったく英語が話せないのに大したもんだと日々感心するばかりである。

 

英語が理解できないうちはネイティブスピーカーよりは、バイリンガルの日本人講師が推奨されることが多いと思う。フィリピン国籍の方のオンライン英会話はすっかり定番だが、その先生たちもある程度の日本語のフレーズは知っていると聞く。

 

けれど娘とうまくいく先生はネイティブの先生なのだ。これは、我が家が登録しているオンライン英会話サイトの傾向かもしれないけれど、娘は日本人の先生のレッスンスタイルがつくづく合っていない。要するに授業形式が嫌いなのだ。先生がその日やると決めたレッスン内容(先生の土俵)に引っ張られるのが嫌なのだ。ネイティブの先生は、娘の周りすべてのものが教材になるから娘の土俵に入ってきてくれる。それがおそらくうれしいのだと思う。

そして何よりそこに「英語を話す」必然性がないことをすでに気付いている。なぜ英語を苦労してこの人に話さなくてはならないのだといった感じだ。先生はマルチリンガルで、日本で暮らしていた経験もお持ちだからおそらく日本語もある程度わかっている。でもやっぱり英語が母国語の人の存在感は違う気がする。

 

そして、仮に娘がふざけてリピートしなかったり、答えなかったりしても絶えずリアルタイムの英語が浴びられる。これがネイティブのレッスンを受ける最大のメリットに思う。本当に素晴らしい生の教材になる。

日本語を獲得していくときも多くの子供は親から言葉を浴び続ける。「お花が咲いてるね。きれいだね。」「どこにいくの?」「今日は暖かいね。」こうやって自分の動きや目に映るものを日本語という言葉でラベリングされていき、知らず知らずに覚えていく。

 

今、娘が先生にやってもらっているのもまさにこれなのだ。インプット量が十分でないうちにオンライン英会話をはじめても効果は薄いとよく言われる。確かに、大人がやればそうだと思う。けれど、小さなこどもはそうではないと9カ月続けてきて思う。娘がひっくり返ればWhat are you doing?と言ってもらい、レゴを見せればIt's nice!と言ってもらう。先生は当然語学を教えるプロなので、そこにさまざまな単語を放り込んでくれる。そのときはわからなくてもなんとなく頭に残り、YOUTUBEなどを視聴した際に再びその単語に出会うと、おそらく「前先生も言ってたな」となっているのだ。それを繰り返し繰り返し、何度も同じ単語やフレーズに出会っていき身についていく。

 

このレッスン内容が嫌だ!と娘が言えば、多くの先生はじゃあこれは?じゃあこれは?と新しものを用意してくれる。でも、今お世話になっている先生は違う。「そういうときは英語で〇〇」というのよ。と教えてくれる。「New game please」「I don't want to play」とかをリピートさせようとしてくれる。英語を学ぶというより、英語で会話しようとしてくれるその姿勢が娘は心地いいのだろう。

 

とにかく英語習得は時間が大切と言われるのはこの作業を膨大に繰り返す必要があるからだと思う。そしてそれをしても苦にならないのが小さいころから始めるメリットだろう。同じ動画を何度も何度も繰り返せるのだ。大人は意識的にやらないと、よっぽどハマった動画以外はできないけれど、子供は違う。何時間でも見ていられる。

 

英語学習を始めたときは、いったいこれからどうやって身についていくのだろうと不安になったほどだったが、ここ数日で急にレベルが上がってきた気がする。ネット上のスーパーキッズたちの英語を見ていると、うちは到底そこまでたどり着けないだろうとか、このスタイルや教材があっていないから伸びないのだろうかとか、とにかく悩む。おうち英語界隈は怪しげなビジネスも横行しているし、英語が話せない親が進めるおうち英語はいいカモにもなってしまう。

 

けど、やれることはシンプルだ。英語を大量に聞かせ、時折アウトプットさせるだけ。やり方はその子にあったものを探し選び続けるのだ。

娘とたどっていく絵本の世界③NETFLIXからの絵本

現在4歳4か月の娘は絵本大好き。自分でもぐんぐん読み進めていく家族一の読書家になった。けれど、当初はほんとうに絵本に興味を示さなかった。

 

1歳児健診の際に町からプレゼントされた「いないいないばあ」に一瞬はまり、繰り返し読んでいたので絵本に興味が出てきたのかな?と思っていたもののそれ以降まったく進まず。図書館からせっせと借りてきた本を破かれ、始末書まで書いたほろ苦い思い出まである。

 

「まぁもういいか!本に興味がなくてもこの世にコンテンツは山ほどあるし。」と早々にあきらめてワンオペ育児の片手間にNETFLIXを導入することになった。これまでEテレのわんわんやユキちゃんにはほんとうにほんとうにお世話になり、「いないいないばあ」のライブDVDはほとんど持っているほどだったが、少しほかのも見せてみるかとNETFLIXを始めたのである。

 

サブスク型の映像コンテンツに手を出したのはこのときが私も初めてで(ちょうどNETFLIXがはやり始めたころだった気がする)、莫大なコンテンツ量にド肝を抜かした。

 

早速検索して、1歳を過ぎ、もうすぐ2歳になる娘でも楽しめそうなものはと探した。それで選んだのが「ノンタン」である。ノンタン様と呼ばせていただきたいくらい、その後娘はドはまり。娘は発語が早く、1歳過ぎたころからなんだかんだとしゃべっていた気がする。「ノンタン」といえるようになったのも早かった。

 

ノンタンは絵がわかりやすく、なんといっても語感がよい。韻を踏んでいるような文章が多く言葉を覚えだした子供が思わず繰り返したくなるような文章だったのだろう。それがアニメで動き、リズムよくキャラクターが話すため娘は夢中になった。映像クオリティは大人からみるとガサガサで色も地味なのだが、それも逆に良かったように思う。

 

2歳前には2語文になっていたような気がする。テレビを指さして「ノンタン みる」「ノンタン シュー(する)」といわれまくった。そんなある日、ふらりと家族で訪れたブックオフで見つけたのだ。「ノンタン」シリーズがほぼコンプリートされた超良品絵本が。しかも1冊100円とかだった気がする。

 

10冊ほどひとまとめにして購入。ダメもとで読んでみた。するとさらにノンタンブームが加速。寝る前にはノンタンの絵本10冊を抱え、「よんで」「ノンタンよんで」と笑顔で持ってくる。これまで1ページも聞いてられなかった娘が急に10冊抱えてよたよた歩いてくるのである。衝撃だった。

 

話は少しそれるが、このころ、昼寝のペースが変化してきているときで夜6時には寝かしつけをしなくてはならず、朝食・昼寝後、遊び、夕食を作り、食べさせ、風呂に入れ、寝かしつけを完了させるまで朝から晩まで完全にワンオペだった。

 

日中はノンタンしか流れないテレビを見て、運動のために外に連れ出し、夜は寝る前にノンタン10冊。今思えば苦行だった。わんわんやユキちゃんが恋しかった。人間の姿を見たかった。今思うと笑えるが。

 

「もう少し減らさない?」といってもダメ。とんでもない冊数をいきなり読むようになり喉はカラカラ、娘は寝ない・・・思い出しただけでも少し辛い日々だ。しかし、日ごろ不真面目で自分で良い親とは言えない育児ばかりしている私は「せめて持ってきた本はなるべく読んであげよう」となんとなく決意したのだ。持ってくる本はすべて読んだ。聞いていなくてキレた日もあるけど、それでも最後まで読んだ。

 

幼児の「繰り返し」習性は本当にすごいとしかいいようがない。確かにこの習性は語学を修得するのにぴったりだと今は思える。当時はマジでつらかった。暗い部屋で娘の寝息が聞こえてきても頭の中でノンタンの声と映像がぐるぐるしていた。ちなみに夏ならまだ外は明るかった。いったい今は何時だ?頭がガンガンした。

 

そしてそこから起き上がって、帰宅する夫に夕食を準備する。夫は育児にも積極的で日々力になってくれたものの、このころの寝かしつけの苦労は知らない。夫が家にいる時は大体私もいるからだ。あの姿は娘とノンタンしか知らない。

 

当然ノンタンは架空の人物だし、娘もやがて忘れてしまうだろう。今聞いても多分覚えていない。あの日々は私だけが知るどんな気持ちにカテゴライズしてしまっておけばいいかわからない思い出だ。ノンタンの能天気な顔を見るたびに思い出す。

 

かくして、娘の絵本の世界への扉を開いたのはまさかのNETFLIXだった。これまで赤ちゃんだった娘は絵本を見てもそのキャラクターが動き出していなかったのかもしれない。NETFLIXノンタンは絵本とほとんど同じ回もあり、動画を見てから絵本を見ることで「紙上のキャラクターが生き生きと動き出す」経験をしたのではないかと思う。

 

それで絵本を読む(聞く)「コツ」を会得したように見える。それからはノンタン以外の絵本もどんどん読むようになり、そして絵本を眺めているときの目はきらきらと楽しそうだ。