ricebirdgarden’s blog

娘との絵本をめぐる冒険&おうち英語

試される親の根気

とんでもない勢いで文字を覚えていく4歳4か月の娘。車で少し移動しようものなら、町にあるすべての文字を読もうと看板に目を光らせている。最初のうちは「あれも読めたね!」「これも読めたね!」と親ものんきに褒めていたのだが最近はそんな余裕もなくなりつつある。

 

昨日は、「あのビルみたいな漢字は何て読むの?」と聞かれた。もちろん私は運転中で、おまけに「ビルみたいな漢字・・・?」。

 

娘は幸福にも両親に愛され、周りの人からもかわいがってもらっている。だから質問したら当然教えてもらえるものだと思っている。「そんなことも知らないの?」なんて詰め寄られることがあるなんて1ミリも疑っていない。

 

私の子供のころはどうだったろうか。私の場合は父自身が「質問することは素晴らしい」と強調しすぎていたように思う。そんな父を喜ばせたくて、「質問する」ことばかり続けていたかもしれない。だから私の質問力は正直微妙だ。褒めてもらいたくて適当に質問していたから。娘のように、「あのビルみたいな漢字はなんだ!?」と興味に突き動かされて質問していなかったように思う。

 

少し話がそれてしまった。というわけで、娘は今「あれは何?」ブームだ。そして質問ジャンルはいまのところ漢字に特化している。私のように「質問する」ことを目的とした「質問」ではなく、「この世のすべての漢字を知ってやる」と海賊王さながらの熱意があるため、いい加減に応えたり話題をそらすと怒る。面倒な(失礼)4歳児クオリティで。

 

そんなわけで私は爆弾処理班くらい慎重に(マジで4歳児は爆弾だ)「ビルみたいな漢字」の正体を突き止める作業に入る。短すぎる導火線に火をつけないように慎重に確認した結果、「出」という文字を聞いていたことがわかった。

 

車で通りすぎた道に「とび出し注意!」の看板があったのだ。「注意!」はおそらくよく見返るうえ、日常でもよく聞くため看板の場所、飛び出し坊やのフォルムから「なにか注意喚起している看板だな。なるほどこれは注意(ちゅうい)と読むようだ」と突き止めていたと思われる。そうすると「とび出し」もイメージで読めそうな気もするが、確かに「出」という漢字は不思議な形をしているようにも思えてきた。

 

「出は(デ)とか(シュツ)と読むよ。出るとか、出発進行のシュツだよ」と答えると「オッケー!!しゅっぱーーーーーつシンコーーー!GOGO!」と声高らかに応えた娘。音速で突き進む娘にどこまで親はついていけるのか。心からの興味で質問してくれるうちが花である。

 

娘には私のように「質問すると父の機嫌がよいな、喜んでくれるな」といった記憶を残すのではなく、「こっちが真剣に聞いているのにマジでお母さんってば何回も質問聞き返してきてほんと勘悪かったよな~。今思えば間違って教わった漢字もあるし。まあでもクイズみたいで楽しかったかな」くらいの思い出をどこか片隅に残してくれればと願う。

4歳4か月 音読が始まる

4歳4か月になった娘。相変わらず絵本の世界へせっせと潜り続けている。寝る前の絵本の数は平均して5~6冊。図書館から借りてくる冊数は2週間で20冊弱。家にある100冊近い絵本と合わせながら繰り返し繰り返し読み続ける日々。

 

娘ははっきりって落ち着きのあるタイプではなく、かなりアクティブ。コロナの影響もありリビングにはトランポリンとブランコ(梁に括り付けるタイプ)が常設されている。

 

子供たちが大好きなYOUTUBEでさえ、じっと座ってみることはまれである。いくらか見たらほかの遊びをしながら流し見することが多い。

 

そんな娘は絵本を読みきかせしてもらっているときもしゃべる、動くとまるで聞いていないようなそぶり。

 

「もう聞いてくれないならここでおしまいにするよ」なんてワードも思わず親から飛び出すこともある。

 

しかし、驚くのはそんなスタイルで聞いている絵本であっても暗唱できること。谷川俊太郎さんの有名な「めのまどあけろ」などはおそらく1、2回聞いただけで暗唱してしまった。

 

大好きな「のんたん」シリーズや「14匹のねずみ」シリーズなどお気に入りのものはほとんど覚えている。

 

そんな娘が最近、突然ひらがなをスラスラと読み始めた。「こ」「ん」「に」「ち」「は」といった拾い読みではなく「こんにちは」と滑らかに読めることがほとんど。まったくと言っていいほど教えていないカタカナや多少の漢字も読めるようだ。

 

一体彼女の頭はどんなふうに文字を処理しているのか?ガサガサ動き回って(失礼)ろくに話を聞いていないようなことがほとんどなのにどんどん読めるようになっている。テレビの文字もどんどん読むので下手な番組はもう見れない・・・。

 

観察していると「一文字」で覚えるのと並行して「かたまり(単語)」で覚えてしまっているようだ。そしてこれまで暗記してきた「音」と照らし合わせながら確認しているので滑らかに読めているように思える。

 

娘はこどもちゃれんじのひらがなパソコンやひらがなを覚えるためのおもちゃなどはまったくハマらなかった。カルタもそこそこ。ドリルなんてもってのほか。

 

大人が思う「文字の学び方」はつまらないらしく、なんだかもっともめんどくさそうな「絵本の音を覚える」「いくつか知っている文字と音声を合わせながら文章と絵を眺める」「文字と単語を覚える」というルートをたどっているようだ。

 

細々と続けている英語も同じ。アルファベットは覚えているようだが、読み方はご存じフォニックスルールにのっとるものが多いので、ひらがなのように読むことはできないはずなのに「funny fish」などまとまった単語が読めたりする。こっちからするとまったくもって謎。

 

子供の言葉を習得するプロセスはまさに今しか見ることができない姿で面白くもある。

4歳2ヶ月読書量急上昇

4歳2ヶ月になった娘。最近新しい絵本を読むことが好きなよう。2週間に一度、図書館に行き10冊ほど借りてくる。

気に入った本はリピートしつつ初めての物語に飛び込む楽しさを味わっている感じ。1冊をエンドレスリピートしていた赤ちゃんの頃とは少し楽しみかたが変わってきたようだ。

 

選ぶ絵本の内容は物語をベースに科学も増えてきている。お父さんの影響で宇宙に興味がでてきた。オンライン英会話で南アフリカの先生と話しており、地球の広さから宇宙の広がりまで想像が広がっているのかもしれない。

 

毎回驚くのが記憶力のよさ。一度読んであげた話はかなり細かいところまで覚えており、教えていなかった「毛糸」を「いやいやえんのおばあちゃんが編み物で使っていた糸」と詳細に理解していた。こういったことは日常茶飯事で、これまでインプットされていた言葉同士が論理力の発達に伴ってあらゆる角度から糸でつながり、思考や発想もまさに立体的な様をなしてきた。糸が面になり、立体になるよう。立体同士のつながりの突飛さがまさに4歳という感じの自由があり感心する。その立体は地球という星を越え、宇宙にまで飛んでいけるのだから子供の想像力にはつくづく感動させられる。

 

それとともに自我もハイスピードで発達。2歳のイヤイヤ期とは比べ物にならないイヤイヤが日々爆発。それでも絵本を下げて読んでとやってくる。

 

1人で文字が読めるようになってきたけど、まだまだ読み聞かせは続けるつもりでこれからも娘の絵本の世界にお供できるのは大変でもあり光栄でもある。

 

娘とたどっていく絵本の世界②「はじめて笑った絵本」

1冊の絵本を最後まで読み聞かせることがほとんどできなかった娘ですが、

1歳の誕生日にもらった絵本でついに完読できるようになりました。

絵本のタイトルは日本一売れている有名な絵本といえばピンと来る人も多いでしょう。

 

「いないいないばあ(松谷 みよこ(著)、瀬川 康男(絵)」でした。

 

1歳児検診のときに町からプレゼントしてもらい、その場で絵本ボランティアの方が読み聞かせををしてくださいました。

 

「めっちゃ優しそうなおばあちゃんだけど、これはまた娘は脱走するのでは…」

とひやひやしながらそばで見守っていましたが、娘は絵本にかじりつき!

ページをめくるたびにキャッキャと笑い声をあげています。

 

周りの子どもたちも同じように、ボランティアの方に読み聞かせをしてもらっていたのですが、

声をあげて笑うほどハマっているのはわが娘だけ。

ボランティアの方もあまりのリアクションのよさに、繰り返し読んでくださったほどでした。

 

今年4歳になる娘ですが、いまだに読んでと持ってくるお気に入りの絵本です。

 

ヒットする絵本を選ぶと子どもはこんなにも喜ぶのか!衝撃でした。

 

それから、私がこれまで選んでいた絵本の選び方を振り返ってみました。子どもにヒットする絵本の選び方。これを私は長い間間違えていたように思います。

当時は、娘に「自分が読んであげたい」ものを選んでおり、娘自身が「読みたい」ものを選べていなかったように思います。

 

ずらりと並ぶ絵本を見ているうちに、

「理科に興味を持って欲しいから科学的な内容のものにしよう」

「絵がかわいいからこれを気に入って欲しい」

そんな気持ちで知らず知らずのうちに、私の好きなものを選んでいました。

 

それが「今の」娘の興味に沿ったものではなかったのが大きな失敗だったのではと思います。当たり前のことなんですが、本当に娘100%で選ぶのはかなりの難易度です(少なくとも私はそうでした)。

 

「いないいないばあ」は文字がかなり少なく、下手すれば1分で読み終えてしまうようなボリュームです。

もっと目を引く色や絵柄がのった絵本もほかにたくさんあります。

しかし、そのボリュームと柔らかな絵柄、ページをめくる喜び・おもしろさを感じられる設計。これらを考えると、これ以上1歳児の心をつかむ絵本はないのでは?と思うほどです。

 

そして、1歳児なりに、自分で読むことができるのもこの絵本のすごいところでしょう。

ほかのフレーズは読みなくとも、ページをめくりながら「ばあ!」と読むことはできるからです。

 

しかし、それからまた絵本選びは停滞するのです…。そしてそれをブレークスルーさせたのはネットの力でした。

娘とたどっていく絵本の世界①「ぜんぜん絵本に興味を示さない」

今年4歳になる娘は、今となっては毎晩寝る前に読む本を10冊も持ってくる子どもになりました。有名な「からすのぱんやさん」や「14ひきシリーズ」なら暗記しているフレーズも多々あります。

 

子どもが生まれたら、漠然と「絵本の読み聞かせ」をするものだと思い描いている人は多いのではないでしょうか。

 

私もその一人でした。親の膝に子どもが座り、ともにページをめくりながら絵本の世界へ飛び込んでいく・・・。

 

「絵本の読み聞かせはよい」と漠然と世間でも耳にします。「優しい子に育つ」、「頭のよい子に育つ」、「この本を読んだ人はいい大学へ行く」・・・

 

私は絵本がもたらすそういったさまざまなおいしい「効果・効能」というよりは、物語の世界に飛び込んでいく楽しさを娘に知って欲しいと願っていました。これから大きくなって、自分の居場所を見失ってしまったときもたった1冊の絵本や本、漫画、映画、アニメ、ゲームで救われることがあるかもしれないから。そのとき触れたたった1つのシーンやセリフが心を癒してくれることがあるかもしれないから。

 

これは絵本だけにいえる話ではないですね。一見、何の役にも立たないことが人生を豊かにしてくれます。「これをすれば頭がよくなる」「これをいえば優しい子になる」そんな必然性は求めず、偶然性を積み重ねたいというのが私が育児で大切にしたいことです。(そうじゃないと子どもを管理しようとする自分が出てきて怖いし・・・)

 

そんな思いを持ちながら、私が娘に絵本を読むようになったのは、生後4か月ごろからだったと思います。生後半年ごろからは町で主催の「お話の会」なんていうのにも毎月せっせと連れていきました。

 

しかし、連れていかれた娘はまったく!絵本に興味を示さず、絵本ゾーンから脱出することがほとんど。短い赤ちゃん用の絵本も1冊は聞けませんでした。

ほかの子のように、じっと親の膝に座って、呼んでくれる人の方を向いて耳を傾けるというようなことはほぼありませんでした。

 

図書館で本を借りて帰っても同じ。ページをどんどんめくってしまったり、話の途中でどこかへ行ってしまったりと、私が漠然と思っていた「絵本を読む親子」の姿はどこにもありませんでした。

 

娘は生後10か月で軽々と歩き出し、絵本の世界よりも外の世界に興味津々。借りてきた絵本を破いて、始末書を書いたこともあります。

 

「まだ早いのか・・・それとも絵本が嫌いなのかな」

自由気ままな娘同様、根気のない母代表のような私も絵本の読み聞かせはしばらく諦め、絵本から離れることにしました。ものわかりのよい母風なコメントをしていますが、当時は「せっかく絵本買ったのに・借りたのに」という気持ちがぐるぐるしていました。

でも、興味のない遊びを提案されても、ほかにやりたいことがあればそちらを優先するのが子どもというもの。のんびり彼女の気が向くのを待つ日々が続きました。

 

そんな娘が絵本に興味を示す日がやってきます。