ricebirdgarden’s blog

娘との絵本をめぐる冒険&おうち英語

こどもを魅了する「お化け」のおもしろさ

娘も気が付けばもうすぐ5歳である。相変わらず浴びるように絵本を読みきかせる日々は続いている。

 

娘はとてもアクティブだが、こちらが心配になるほど怖がりなところがある。想像力が豊かともいえるかもしれないが、そのせいでアンパンマンの映画すらまだ見れない。通常のアニメ会より、バイキンマンがパワーアップし、アンパンマンたちが危機にさらされるのが見ていられないらしい。典型的な悪役が出てくるディズニーなんてもってのほかである。

 

しかし、彼女の最近の趣味は武器集めである。一度も最後まで見たことのないキラメイジャーやプリキュアの音のなる武器をハードオフでおねだりし、いつか訪れるかもしれない悪い奴と戦う日のために熱心にトレーニングに励んている。ちなみに、そのおかげか、吹き抜けに釣るしてあるつり輪でくるくる回れるようになった・・・。さらにいえば、彼女の「悪者」はすべて「泥棒」と表現されており、そこにもなんというか、世にはびこる悪人に出会ったことのないことが見て取れ、平和に暮らせているなぁとも思う。娘よ、本当の悪人は人の形をしているし、わかりやすくホッカムリはかぶっていないし、口の周りにひげは生えていないんだよ。

 

そんな怖がりな娘であるが、絵本のジャンルでいえば、お化けや妖怪はかなり好きなのだ。お化けジャンルの絵本で大好きなのは、「おばけのさくぴーとたろぽう」シリーズである。全シリーズ持っている。

 

さくぴーとたろぽうはお化けの子供の姉弟で、夜起きて朝寝るという世界で暮らしている。夜遅くまで遊び、朝日を浴びるとちょっと足が生えてしまうなんてユーモラスなシーンもある。娘はたまに「夜遅くまでこのまま公園で遊んでたらさくぴーとたろうぽーに会えないかなぁ?」なんてなんとも可愛い空想を膨らませている。

 

そんなさくぴーとたろぽうシリーズの魅力は、食べ物にもある。シリーズの中でもとくに人気であろう「おばけのコックさん」は大人が見ていても非常に面白い。「千と千尋」のお父さんとお母さんが神々の背化に迷いこみ、そこの食べ物を無断に食べてしまうシーンは印象的だが、あそこに出てくる得体のしれない食べ物はどれも異様に美味しそうだ。さくぴーとたろぽうが食べるものは、それに通ずるものがあるように私は思う。くもの巣のスープやキャラメルキャベツ、くるくるきゅーにに、くるぽんきゅー。

 

やわらかなタッチで描かれる絵本の中で、それらの食べ物は絵本から飛び出してきそうなほどどこかリアルなのだ。お化けという得体のしれない生き物が食べている得体のしれない食べ物。キャッチーな名前が付けられ、お化けたちが夢中で口にする食べ物。読めば読むほど、どこかにそんな世界があるのかもしれないと思うだろう。私は子供のころこの絵本には出会わなかったので、娘とともに熱狂して楽しんだ。

 

こどもは好奇心の塊である。その好奇心がどういった形で発露されるのかが、面白さだと思うようになった。「怖がる」という行動も一つの発露なのだ。娘は2、3歳までは怖いもの知らずだった。保育園のお散歩で出会ったおじいちゃんにも自己紹介をしたと聞いてひやひやしたものだ。それが、1年2年たつうちに、生き物に触れ、植物に触り、お友達と遊んでいる間に「命」の迫力を知るようになったと思う。

 

気軽に捕まえていたバッタやカエル、公園で撫でさせてもらったネコやイヌにはそれぞれ命があり、どれだけ可愛らしいフォルムをしていたとしてもそれらは全力で今を生きており、ときに圧倒された。命に触れながら少しずつ、「敬意」を感じているのだと思う。たとえ、「敬意」という言葉を知らずとも、彼女の視線や振る舞いにはそういった感情がこもっているように思う。ちなみに、今年は近所の池からカエルの卵を100個ほど連れて帰り、すべておたまじゃくしにし、カエルにまで育てた。水替えが大変だった・・・。

 

そんな風にしながら命に敬意を持つようになり、さらにいえば命はある意味「得体のしれないもの」と感じているようだ。その延長線上に「お化け」や「妖怪」、「恐竜」なんてものがあるのではないだろうかと思う(恐竜は太古の地球には存在していたのだから、それはより一層ロマンと想像力が掻き立てられて当然だろう。ちなみに私は石にロマンを感じている)。

 

ダイバーシティーや多様性が声高に叫ばれる昨今だが、「あの人の肌の色は」「目の色は」「性別は」なんて大人が躊躇している間に、子供たちは軽々と「そこに存在する得体のしれない命はそのまま命である」ことにたどり着いているように思う。その無垢な感覚にどのような言葉でタグ付け(あるはレッテル貼り)してしまうか、その責任の一端を私たち大人が担っていることを忘れてはいけない。

 

もしかしたら、さくぴーとたろぽうが生き生きと暮らす世界があり、うっかり迷い込んだ際には、「わ!人間だ!」とこちらがマイノリティとなり驚かれる世界線だってあるのだ。子供は絵本から、そんな可能性すら見出している。